私の初めてのインド映画体験記


更新日:1998年10月17日


インド映画を体験した方にとって、最初のインド映画は思い出深い事でしょうね。
今回は、自分の初めての映画を記してみたいと思います。

私の初の映画は、幸か不幸か「タミル映画 "BAASHHA" 主演ラジニカント」でした。
その頃、後に日本で「ムトゥ 踊るマラジャ」が公開されようとは知る由もありません。
それどころか、インド映画のイの字も知りませんでした。

先日、往年の大ヒット作「SHOLAY」を映画館で見たのをキッカケにちょっと自分の原点に戻ってみようとビデオで再度見てみました。
感じたのは、当時、自分が如何に映画が見えてなかったかという事です。
映画の面白さ、ラジニのスゴさ等、今では「おおスゲッ」と見えてしまう自分にハマってしまっている現在の自分を認識します(笑;;)
当時は、体験するだけで精一杯だったのです。

1996年6月。場所はタミルナド州のとある学校の講堂。
街から35Kmの所にあるこの学校には娯楽も少なく、2週間に一度の上映会が行われていたのでした。
私はその頃、短期研修生としてこの学校にいました。

何も知識を持たない状態での初めてのインド映画。
だから今まで見たようなアジアの映画の一つ(といっても具体的なイメージがあるわけではない)だろうな等と思っていました。
まさか、そこに自分の見た事のない世界があるとは思いもしなかったわけです。(と、考えるのは後々の事ですが;;)

講堂には、学校の研修生達で埋め尽くされています。
ほとんど野郎ばかりで上映前から騒がしい様子でした。

映画冒頭から踊り出すオートリクシャワラー達のシーン。インドの音楽。
そこへプージャのウリを頭でカチ割って登場する主人公マニ (ラジニ)! (プージャもウリもビデオで再認識しました;;)
鳴り響く口笛。拍手。陽気な学生達のノリに圧倒されます。インドの連中はいつもこうなのだろうか?
そして主人公!あれが主人公(笑)!

慣れたハリウッド映画に比べると陳腐に見える映像の中、響き渡るタミル語。カンフー映画のノリに似ている。
アクションはさらにカンフー映画。バン、ビシッ、バシッ!
香港映画の本格的それにくらべ陳腐だが、なんだかコミカルでおかしい。
どちらかというと漫画的。が、ツメは押さえてある。

バックミュージックもターミネーターの「ダダンダンダダン、ダダンダンダダン。。」とパクってる。
が、逆に恥ずかしげもなくやってしまう所はなんかスゴイ。

そして音楽シーン。唐突で強引な展開に圧倒。
でも、この時はこの映画はこういう演出なのだろうとしか思いませんでした。

当時ですでに古い映画でしたし、時代劇のような感じもしました。

既存の映画にはない妙な迫力を感じながら、最後まで見たのでした。

映画を見終わった後、一体あれはなんだったのか良く理解できてなかったと思います。
映画の内容の事ではなく、観客も含めその文化をただ受け止めるだけで精一杯だったという事です。
ましてや、初めての1本をみて「この映画はどう」とか「インド映画はとはこういうものか」などと分かるハズもありません。
比べる対象の他の映画を知らないのですから;;

同様にスーパッスターのラジニカントのスゴサも分からないのです。
インドの映画の俳優さんは、ああいう顔でヒゲ生やしてるのがヒーローなのかぁ。
でもそれ以上に妙な迫力があった。等の程度。

インドに初めて来て数週間で文化も知らず、字幕の無い映画を見るのも慣れておらず、
何もかもが初めての体験の中では、映画の印象もその一つであり、またよく消化できず
ただ体験していたという感じがしています。
でも理屈抜きにして楽しかったです。映画だけでなく観客達の反応や停電とか(笑)

映画の後、インドの学生が聞いてきます。「ラジニはどうだったか?」
今思えば、タミルの連中は熱く、他の州の連中はちょっとさめた感じでした。
その時、ラジニに対し往年の大ヒットスター故にまあ飽きられてもいるのかなと思ったのを覚えています。
一部では当たっているかとも思いますが、各州の地元根性など諸々もあるんだろうなと今は思います。

このようにして、私の初のインド映画体験は終わりました。

その後ラジニカントにハマったわけでもなく、電撃的出逢いとは言えないのですが、
自分が染まっていく様子が分からない事程コワイ事はありません(笑)
それに気づいた時には、深く、もう元へは戻れないほどに染まっている自分があるのです(笑)

その後、徐々に街に流れる曲が映画音楽であると認識し、その魅力にハマっていく事になります。
その話はまた今度。


つづく。


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